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プロフィール
相沢あやの
相沢あやの
お遍路さんで有名な四国八十八ヶ寺と四国別格二十ヵ寺の公認先達、僧侶です。六本木ヒルズレジデンス在住のウチナーンチュで、西麻布のテレ朝通り整體院の名誉院長を務めています。全国を飛び回って独自視点の情報を発信中!

【略歴】2000年、SFC(慶應義塾大学 総合政策学部)卒業。那覇市出身。地方紙に13年間勤め、記者活動の経験を持つ。
『テレ朝通り整體院』名誉院長

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Posted by TI-DA at

2018年05月11日

ヒルズの窓から 第4回 【”お友達”は多い方が?】



5月の大型連休期間中には、今年も各地で様々なイベントが行われたが、六本木ヒルズでは毎週、何かしら行われている。しかも大小さまざま各分野で、日本を代表するような企業・団体が主催するイベントで、それはやはり六本木という場所ならではだと思う。

レジデンスにいるとおかげ様で目がすっかり肥えてしまい、ちょっとやそっとの事には反応しなくなってしまったこの頃。「感受性がすり減った?ワタシ疲れてる⁇」と心配になったが、どうやらそんなことはないようだ。先月末、大屋根プラザで行われたとあるイベントでは、しっかりスタッフの方に捕まえて頂いた。

オリックス主催の同イベントについて詳細は、きちんとしたプレスリリースが出されているので、そちらに任せる。

https://www.orix.co.jp/grp/company/newsroom/newsrelease/pdf/180425_ORIXJ.pdf

ちょうど「行きつけのサラダ屋さんにでも行こうか」と思っていたところに、サラダほうれん草のサンプリング(無料配布)ときたので、思わず立ち止まってしまったのだ。



他のお野菜も一袋百円で販売している、と言うのでその場でその日のサラダは自分で作ることに決め、4種類のお野菜を購入。水耕栽培なので、調理の手間が省けたし味もしっかりしていた。

私を捕まえたイベントスタッフ曰く、大概のイベントがそうであるようにこれもまた「会社の名前や活動について、より多く沢山の人達に知って頂くことを目的にしたイベント」だったのだが、それにしても名前を覚えてもらうことというのは大変なことなんだなぁとしみじみ思う。そして、家族や親類縁者以外で自分の名を覚えてくれている人、つまり繋がっている”お友達”が財産だと一般的に言われることの本来的な意味についても、妙に納得してしまう。

“お友達“を財産だと考えると、常に狙われる対象であることに気づく。それは個人情報と呼ばれるものであったり、紹介という形でのシェア、もしくは乗っ取りに発展する場合もあったり。考え過ぎだろうか?

ちなみに、あまりにその財産が増えてしまうと税金までかかるらしい。有名税というやつだ。その心配は、よほどのことのない限り必要のないものだと思うので、やっぱり“お友達”は多い方が、豊かな人生が送れるのではなかろうか。そして、友達でいるのはやはり、良い友達だけにしておきたいものだ。

  
Posted by 相沢あやの at 08:26Comments(0)連載

2018年04月23日

ヒルズの窓から 第3回 【ダイエットは続くよ、どこまでも。】



季節が良くなってきたので、そろそろ本格的に身体を動かしてみようか。思い立ってふと自分の足下に目を向けてみたら、おやまぁ!私ときたら、大嫌いなはずのスニーカーをしっかり普段履きにしていて、逆にハイヒールやパンプスがすっかり苦手になってしまっているではないか。
トラウマ、とまでは言わない。でも私は、小学校の入学式がきっかけでスニーカーを履かなくなった。というか、あれはズックという呼び名の方が相応しい代物だった。真新しいランドセルやフリルの付いた可愛らしいワンピースと共に、新1年生の私が身に付けた靴のことである。入学式の帰り道、写真館で撮った記念写真にも、サイズがやや大き目で真っ白なそのズックはしっかりと写り込んでいて、カッペ丸出しの私を足下から際立たせている様に思えた。写真は、私たっての希望で門外不出にした。なのに。それなのに!だ。2018年、おしゃれ番長たちの足元にはスニーカーが。いやいや、ズックも珍しくない!ドレッシーな装いから、時にはジャケットスタイルにまで、運動靴が輝いている。時代の先取りは、私に向いていなかった。



今の流行りに乗っかって、という訳でもない。私のスニーカー解禁は、生活の中に「歩くこと」が入り込んできた結果だ。整体院の名誉院長なのに“美容も健康も全くとん着いたしません!”オーラを全身から発するわけにもいくまい、というのも最近はある。そう言えば、有名人が必死にジョギングしてるのを見かけて『最近テレビで見ないなぁ』と思った翌日、テレビに出ていたことがあったっけ。準備にぬかりない。みんな陰でしっかり、ちゃっかり努力しているのだ。
ウエイトコントロールにはジム通いやヨガ教室も良いけれど、身体を動かすには、歩くのが手っ取り早い。意識して歩くようになると靴選びのポイントは履き心地ファーストに。空前のウォーキング、ジョギングブームもあって、色んなブランドやメーカーがこぞって素敵なデザインのスニーカーを出していて、選択肢が多いのが嬉しい。

そんな事だからますます、私のハイヒールは登場回数が減り、普段履きのスニーカーでヨイショヨイショと歩き回るのに精を出し、頑張ったからと美味しいものを戴いてしまい、カロリーオーバーを気にしてまた歩き。
本当に好きな靴を履く上ではもはや、環境から生活習慣から、負のスパイラルに陥っているとしか言いようがないのだが、そもそも「痩せ終わらない」のだから仕方がない。


  
Posted by 相沢あやの at 20:50Comments(0)連載

2018年04月16日

ヒルズの窓から 第2回 【デフレ?モノの値段】



安くて良いものは増えたけれど、本当に欲しい、必要なものを探すのは、相変わらず大変だ。再任された日銀総裁の新しい任期がスタート、との報に触れ、少し前までよく耳にしたデフレという経済用語と共に、”正しい価格設定”の方法を考えてみた。
デフレとは、モノに対して貨幣の価値が上がった状態のこと。国会質疑で、日本がデフレ状況下であることを示す例として、百均が持ち出されたことがあったのだけど、企業活動として行われている価格設定とデフレとは、直接的に結びつかない様な気がして、当時から違和感を覚えていた。
デフレからは少し脱線するが、企業努力で低価格を実現した発泡酒と第3のビール。酒税見直し案による値上げを巡っては「不味くするのに商品開発するのはアホらしい」との発言も飛び出し、物議を醸した。ナショナルカンパニーともなると、食文化の先導役を担う部分もあろうから、上等な製品を世に送り出す事も確かに重要ではある。一方で発泡酒と第3のビールはヒットしたわけで、結果だけを見れば企業の商品開発は消費者ニーズに応えるものだった。
百均も第3のビールも、商売の基本である薄利多売を実践し、企業として成果を上げた。その事が、景気を悪くする方向に繋がってしまうのだとしたら、何とも不条理だと思うが果たしてそうなのだろうか?



子どもの頃に比べれば、自由になるお金は増えた筈なのに、欲しいモノが何でも手に入るようになったのか、と言えば、私の場合そうでもない。ウインドウショッピングをしていて、目に入るもの、手に取るものにはそれなりの値段がついている事の方が多い。ハンズやロフト、無印良品といった雑貨屋、ドン・キホーテでさえ、だ。むしろ子どもの頃より選択肢が増えて、ため息をつく回数が多くなった気すらする。
それでも、買う時には買う。どうしても欲しい時、必要な時はもちろんだが、値段と価値が釣り合っていて廉価である、つまり販売元が消費者にサービスしてくれていると感じた時だ。
経済活動というのは、売る側と買う側との間でお金を媒体に交わされるコミュニケーションだと思う。円滑で、両者ともにハッピーな受け応えが行われるよう、その入り口となる価格設定を正しく行うためには、誠意を持って消費マインドに訴えかけていくしかない。
提供側でもある私としては、今のところそんな結論に至っている。
  
Posted by 相沢あやの at 18:11Comments(0)連載

2018年04月14日

ヒルズの窓から 第1回 【エステの効能】



中学・高校時代、ファンクラブに入るほど陶酔したロックバンド。そのボーカルが「女の人は綺麗でいることが仕事だ」と言っているのを聞き、惚れ惚れとしたことがあった。
私がイメージする”キレイな人”とは、女性らしい優しさや淑やかさを漂わせた、笑顔の美しい人。そして、美はその人の生まれ持つものだと信じていた。だから、そのボーカリストの言葉は、女性賛美と好みの女性に対する「ありのままの君で良いんだよ」というキザな男性のセリフに聴こえ、うっとりとしてしまったのだった。
ところが「私なんて、仕事サボってるって、ずっと怒られっぱなしになる!」と叫ぶ同級生に、ハッとさせられる事に。彼女の言葉はおそらく、自分の容姿に自信の持てない思春期の女の子らしい、恥じらいの意味合いであったのに違いないのだけど、今になって思い返してみると、美は努力!かも?知れない⁇という事に私が気付いたのは、間違いなくあの瞬間だった。



とは言え、その後は美容とは縁遠く、頻繁にエステのお世話になるようになったのは、最近からのこと。お付き合いや、諸々の兼ね合いから、各地でサロンに入っている。沖縄でも、かの百名伽藍で1本、何万円もするという美容液をたっぷり使った海辺のフェイシャルにも行ったし、スクラブエステやマッサージ、もちろん整体は自分が名誉院長を務める整体院が自宅近くの西麻布にあって、施術の良さも必要性も充分良く理解しているのだけれど、元来、面倒臭がりの私は、時間とお金までかけて自分の手入れをするエステが、相変わらずそんなに好きではない。



それでも、頑張って?あちらこちらにチョコチョコ出入りしていて感じるのは、磨き上げられると、自分の価値が上がった気がしてシャンとしたくなる、ということ。セルフケアではなく、敢えて人の手を借りて施して貰うトリートメントは、シンデレラをプリンセスにした魔法に似てる、といつも思う。掌が持つ力というのは、格別だ。
それにしても、都会の人は美意識が高い。場の雰囲気を大事にする為のドレスコードよろしく、せめて私も街の風景がぶち壊しにならない程度の美へ努力はしなきゃ、かな?と、施術者の掌に意識を押し上げて頂く日々である。  

Posted by 相沢あやの at 19:45Comments(0)連載

2017年09月05日

信州そばの花畑が見頃 長野県内

9月に入った長野県内では、畑いっぱいに可憐な花を咲かせたソバが、道行く人々の目を楽しませています。


ソバの花は直径5㍉ほど。1本の茎から枝分かれした先端に、幾つもの白い小花をつけています=写真。


黄金色に色付いた水田に入り混じり、一面に広がったソバ畑には、トンボが飛ぶ姿も。日本ならではの四季の風景として、情緒深い秋の景色を醸し出しています。

信州そばとして全国的に知られる長野県のそば。ソバには夏ソバと秋ソバがあり、現在、長野県内で花をつけているソバは10月頃に収穫される秋ソバです。

ソバ農家を営む傍ら、蕎麦屋も出している兼業農家の方にお話を伺ったところによると、現在花を咲かせているソバが、新そばとして味わえるのは、11月ごろとのこと。美味しいお蕎麦を戴くには、ちょっと早すぎる長野県への訪問でしたが"お花見"も楽しみながらの農地視察となりました。



  
Posted by 相沢あやの at 15:50Comments(0)

2017年08月04日

志を立てて

1867年の大政奉還から150年。幕末の志士で維新の立役者、かの坂本龍馬を訪ね夏の京都〜高知を旅しました。




【まだ、たったの150年】
寺田屋では、施設の案内役が”事件現場”で史実を話して下さいます。時間が経過しているとは言え、実際の現場に立ち、その場で起きた出来事やその後の歴史の流れに思いを馳せてみると、実に様々な感情が湧き上がってきます。



志半ばに散っていった人々や、その人々を巡る人たちも含めた先人達の願い、思いの一端に、歴史的建造物を通じて触れました。



私の生きる今のこの時代は、まさに先人からの遺産であり、自分達もまた、次世代に繋いでいかなければならないのだなと、しみじみ感じました。



”人生100年”の今を生きる私たちです。
『150年前なんて、ついこの間のことと言えばついこの間のことじゃない!』。
そう考えれば、民主主義に飽きるのも、諦めるのもまだ早い‼︎と、闘志が湧いてきます。



その反面、坂本龍馬は選挙で選ばれてはいないわけで…。叶うことならば、幕末の志士を始めとする明治維新に携わった偉人には是非とも、民主主義の根幹システムである選挙制度について、率直な感想や政治に携わる方法論としての評価をインタビューしたいものです。

【脱藩という選択】
宿泊した高知市内の宿でも見かけた一般的な”龍馬年表”によると、坂本龍馬は2度脱藩しています。2度目は土佐藩からの召喚命令に応じなかったことによるものですが、脱藩は家族も死罪などの罪に問われ、家はお取りつぶしになるほどの大罪。それでも坂本龍馬以外にも、自分達を取り巻く幕藩体制などといった当時の社会システムに対し、行き詰まりや疑問を感じた人たちの多くが同時期、自由と変革を求めて、土佐藩を飛び出しています。



故郷を捨てることの覚悟は、決して並や大抵のものでなかったことは、現代を生きる私にさえ想像は容易です。であればこそ、さらには、国を変える「維新」というものの原動力が、人々のいかに強くて尊い思いの中で醸造されたのかをも、思いを馳せることができます。



坂本龍馬が”日本を洗濯”しようと、短い生涯で東奔西走したのは、彼が「土佐には収まりきらない人物だったから」との見方があります。



一方で私が思うに、日々の中で感じる理不尽さや納得の行かなさというものに対して、真面目に向き合い、答えを求めて突き進んだことこそが、行動の原点だったのではないか、とも。明治維新やその後の新政府に於いても、土佐藩出身者が多く活躍したことからも、そのことが見て取れると思います。





【坂本龍馬も忙しかったそうです】
「大政奉還150周年プロジェクト」と題し、所縁の地となっている全国の自治体が協力し、2017年は通年で様々なイベントが行われているほか、特設サイトも設けられています。
http://www.taiseihokan150.jp/
そのサイト内の情報によると、幕末の坂本龍馬は、立ったまま手紙を書くほどの忙しさ、だったそう。



今回は、正味四日間そこそこの足早な旅。私もなかなか、バタバタでしたがそれでも、龍馬の時代からすれば、現代はその気になれば、何でもすぐにできる便利な世の中。そう思うと、私にもまだまだ色々やれそうな気がしてきます。



坂本龍馬は、家族に宛てた手紙を数多く残しています。そこから浮かび上がる人物像は決してドライでも、ましてや冷徹という言葉とは程遠いもの。きっと、フツーに泣いたり笑ったり怒ったり悩んだりしながら、必死に真剣に、直向きに人生を生き抜いたのだと思います。
過酷にも見えるその道のりを最期まで走り続けることができたのは、明確な目標、あるいはその先へと誘う景色が見えていたということ、なんだと思います。
  
Posted by 相沢あやの at 09:02Comments(0)

2017年06月22日

ついに、夏本番!沖縄地方で梅雨明け


沖縄地方が6月22日午前、梅雨明けしたとみられる、との発表が出されました。沖縄気象台の観測によるものです。今年の梅雨明けは平年より1日早く、昨年より6日遅いようです。


23日の慰霊の日に「沖縄全戦没者追悼式」が行われる糸満市摩文仁の平和記念公園では、午前中から強い陽射しが照り付ける中、供え物や花束などを手に=写真上、式典当日の混乱を避けて訪れた人々が、礎に向かって静かに手を合わせる姿が見られました。

また、同公園内では多数の報道関係者=写真下の1枚目=や警察の警備担当者らによる式典準備=写真中=が物々しい雰囲気で進められていたほか、周辺道路での交通ルートの確認作業と思われる隊列も見られました。






  
Posted by 相沢あやの at 16:10Comments(0)

2017年01月30日

音楽 下里豪志ピアノリサイタル

下里豪志ピアノリサイタル(下里豪志後援会主催)が20日、那覇市のパレット市民劇場で行われました。故郷沖縄への凱旋とあって、チケットは前売り当日共に完売。ブラームスやリスト、ラフマニノフらに加え、アンコールでは「涙そうそう」が演奏され、会場を埋め尽くした約400人の聴衆を沸かせました。

私が下里さんの演奏を初めて耳にしたのは、6、7年ほど前のこと。
個人的に、名前というのはやっかいなものだ、と感じさせられることがここ数年多くなっているのですが、セーラー服をまとった下里さんは、その頃から堂々としていたように憶えています。出会いは、琉球新報音楽コンクール。審査会から表彰、入賞者演奏会までを直接取り仕切る担当者だった私は、受験票に書かれた名前と出で立ちとを思わず見比べてしまったものです。

『繊細さの中に、一つ一つの音をしっかりと奏でている感じがオリジナリティーだなぁ』。
審査会で進行役をこなす傍ら、当時の私が感じた下里さんの印象です。他にも弦楽、声楽、管・打楽器と全部で4つの部門があり、県内新人の登竜門と呼ばれるコンクールです。琉球新報社の担当とは言え、ど素人の私の口からはそんな感想はとてもとても、つぶやくことすらできなかったのですが審査員のお一人に伺ったところ「やっぱりタッチが(独自)、ね」とのことでした。見事、第44回コンクールで1位を獲られ「ほらね~!」と勝手に鼻高々したものです。

上野学園大学音楽学部音楽学科演奏家コースに4年間、特待生として在籍。下里さんは確実に着実に大きくなって、パレット市民劇場のスポットライトを浴びていました。クラッシックコンサートというと、咳はもちろん、座席のきしみすら許されないような張りつめた緊張感の中で行われることが多いのですが、20日のリサイタルは観客全員が音楽家・下里豪志の応援団。「どんな服着て出てくるのかねぇ~」「あんな難しい曲、よく弾けるさぁ。すごい!」などの会話も漏れ聞こえる“アットホーム”という言葉がぴったりの雰囲気の中、観客と演奏家とが一体となり、約2時間が瞬く間に感じられる聴きどころ満載の演奏会が繰り広げられました。
  
Posted by 相沢あやの at 13:07Comments(0)